2015年3月12日木曜日

あれから4年が経ちました・・・

お疲れ様です。

昨日で東日本大震災から4年が経ちました。
あの瞬間、私はインテリアコーディネーターと立川にある住設メーカーのショールームに居ました。
販売に苦戦していたとある分譲マンションのモデルルームに設置する、オーダー家具の打ち合わせをしていました。物件の図面と家具図面を交互に見比べていた時に少し違和感を感じました。軽い目まいのような状態になり、体調が悪く疲れているのかと勘違いしました。

座席を離れて伸びをした瞬間に、軽い揺れを感じました。地震だなと思った次の瞬間、かなり強い揺れを感じたと同時に建物の外に皆で避難しました。大木や電線や車が、今まで見たことの無い動き方をしていました。映画で怪獣が、大木や車を揺すっているかの如きの動きをしていました。地震の揺れとは別に心底身体が震えました。

やがて地震が収まりましたが電車が止まっていたので、車でコーディネーターを自宅に送り届けました。テレビのニュースを見ながら車を走らせました。震源地が東北地方だったとその時初めて知りました。その後は皆さんもご存知な悲惨な津波の映像が次々と映し出されました。運転しながら涙が止まりませんでした。何か悪い夢でも見ているような信じられない気持ちでしたが、都心に近づくにつれ道路に溢れた人混みと車の大渋滞で現実に引き戻されました。

思い起こせば、阪神・淡路大震災の時は大阪に居ました。地震発生時にかなり強い揺れを感じました。まだ就寝中の出来事でしたので、電気を点けようと立ち上がろうとすると立ち上がれなかったのと、テレビが1メートルくらい動いていました。幸いにも身近なところでは大きな被害はありませんでした。まだ夜明け前で、すぐ近隣を見ましたが大した被害が無いようでした。テレビを点けてもどこかの港を映し出していました。穏やかなよく見る風景で、大した被害が無くて良かったと思った次の瞬間、テレビの画面が変わりました。一瞬何が、何処が映ったかまるで判断できませんでした。どこか遠い外国の戦場の映像かと一瞬思いました。

なんとそれは神戸の町並みでした。頻繁に利用する高速道路やよく知っている駅舎やビルが倒壊していました。あちらこちらの家々も倒れ燃えていました。甚大な被害を受けました。

あれだけの被害を受けたものの、復興はかなり早かったと感じました。西日本の交通や運送の中継地で要だからとの理由もひとつだとは思います。それに比べて、東北地方の復興は遅々として進んでいないように感じます。被災した方々にとっては、都会だからとか田舎だからとかは関係無いと思います。

人として何ができるのか、ひとりの力では微力なのでより多くの人の力を借りて何ができるのか、再考していきたいと思います。


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